TABOO

Rinbjö

TABOOのウエブサイト用に、「菊地成孔が自分のHIP HOP NAMEであるN/Kにロングインタビューする」という試みをしてみました。
全5回で毎週更新です。別頁に掲載されている歌詞&クレジットと併せてお楽しみください。
ただ、歌詞と違い、聴く前から読むのは(あまり)お勧め出来ない。とのこと。
本人曰く「ガチで100回ぐらい聴いてからしか読まないで下さい一週間あれば100回は楽勝ですが」。
果たしてどうなります事やら。「Rinbjo/戒厳令」に関する、菊地成孔からN/Kへのハイパー・ロングインタビュー

Rinbjö ARTIST TOP
SPECIAL CONTENTS:2 N/K自ら撮影及び編集 怒涛の制作ドキュメント

<汝100度を知らぬうちに紐解けば果たして楽園はその場で消え失せるであろう>

  • 第一回
  • 第二回
  • 第三回
  • 第四回
  • coming soon

第一回

――「本人が本人をインタビューする」という手法は、一見斬新なようだけれどもね

N/K そうだね。でも実は在り来たりだ。日本人で一番成功したものとしてはワタシの知る限り糸井重里の例を挙げて良いと思うが。

――とはいえ、問題は先行者の有無じゃない。我々が何故この形態を選んだか、についてだ。ひょっとして他者によるインタビューへの絶望?

N/K まさか。他者によるインタビューには、最初から全く期待していない。楽しんでいるだけだ。だから絶望も無い。勿論、単に君が、ワタシが知りうる最高のインタビュアーの1人だから---本人であるワタシに対してだけではなく、誰に対してでも--、という事実も少々は加味されてはいる。しかし、問題はそこじゃない。

――そうだね。僕はあなたなのだから、あなたの答えは、原理的には。とするが、総て分かっている。だから、演技者になるしかない。例えば、ユーザーの視点をシミュレイトして、いかにも彼等が聞きたそうな事を、スムースに羅列するとか何とか。

N/K それもあるが、最も大きいのは、君に対してなら、こうした口調が使えるという事だ。ワタシ即ち君は、あらゆるインタビューに於いて、時に過度なまでに慇懃で低姿勢な口調になる傾向があり、、、、

――結果として、横柄で上から的な口調にテープ起こしされて、全部書き直すといったハメになる事も多々あったし

N/K まあそれはインタビュアーが自らの中に「頭が良くて威張っている自分」を飼っていて、それをワタシに投影するといった幼稚な行為であって、時間は喰うがさほどの問題ではない。デーモン閣下の名言に「我が輩は自分の事を<オレ>とか<オレ様>と言った事は一度も無い」というのがあるが、問題のレヴェルとしてはその程度の事だろう。それより、もっとも重要な事は、やはり口調だろう。ほとんどの読者は、丁寧で慇懃な口調には反射的な警戒心や反感を示し、適度にワイルドな口調には反射的に親密性を感じる。

――それは読者に対する侮辱なのでは?彼等はそれほど稚拙だろうか?

N/K いや稚拙なのではない。単純に読み易さの問題だ。おそらくSNSもそうなのだが、映画の字幕と同じと考えるべきだ。それに、口調はキャラクターそのものだ。菊地凛子氏は、音盤の中で「rinbjö」というキャラクターを創作したけれども、未だに、インタビューやライブ、SNS等でどう振る舞うかについて決定しかねているように見える。

――ワタシとあなたは取り急ぎそれに先行して決めてしまおうという訳だね

N/K その通り。カジュアルな口調だから親密に思われる。という保証はどこにも無い上に「ラッパーだからカジュアルにワイルドに」では凡愚ぎりぎりだけどね。そうそう、あとは若干だが「翻訳され易さ」というのがある。このインタビューは英語、フランス語、韓国語に訳される予定なので、持って回った修辞は避けるべきだ。さあ始めよう。

<オファーを受けた日から7日目までの事>
――現状での総てのインタビューで発言しているけど、改めて、菊地凛子氏からオファーを受けた日の事を話してもらっていいかね?

N/K 電話を受けたのはワタシではなく君だ。こういう細かい所にも手を抜かずに行こう。

 ――そうだね。厳密には2013年の11月14日の、14時から15時の間の事だ。その日はDCPRGのライブで、恵比寿リキッドルームの入り時間が15時で、事務所を出たのが14時、富ヶ谷の交差点あたりで携帯が鳴ったのを憶えているから、ちょうど14時半ぐらいだったと思う。

N/K 野田努氏からだった。

――そう。ワタシは日産エルグランドの後部座席でまず彼が「久しぶりだね~菊地さん」というのを聴いた。かなりハイというか、わくわくした感じだったよ。

N/K そのあと「あのさあ、いきなんですけれどもね。女優の菊地凛子さんって知ってる?」と言われ、「知ってますよ」と君は言った。

――そうさ。そしたらいきなり本人が出たんだ。

N/K 「イタズラ電話だと思ったら本物だったんで驚きました」というのは、勿論メディアに対するリップサーヴィスだよね?

――ワタシは野田氏の声を聴き、「菊地凛子」という名前が出た瞬間から分かっていたよ。ああ、ミュージシャンデビューしたくて、プロデュースをオファーされたなと。

N/K 女優は歌いたがるしね。特に、行き詰まったと感じている女優は。

――彼女の名誉の為にも言っておくけど、彼女はキャリアを行き詰まらせてなんかいない。自分で勝手に窒息したんだろう。そしてそういった女優は、舞台かバンドか、そのハイブリッドであるミュージカルを目指す。しかし舞台もミュージカルもスキルフルなジャンルだ。だから、これはミスティックな事を言ってるんじゃなくて、単に数秒の間に行われた推測だが、一本釣りされている事も、僕の事をほとんど何も知らないであろう事もすぐに解った。野田氏はクピドでしかない。我々は菊地姓の名の下に、エグイ/エロいという美意識、並びにスキルレス、即ち「ヘタウマ」によって点対称的に繋がったのだ。という所までは一瞬で解った。

N/K 歌唱力まで?

――映画を観ていたからね。彼女の誹謗には決してならないと判断した上で言うけど、「バベル」「ノルウエイの森」「パシフィックリム」そして、シャネルの広告を見る限りにおいて、彼女は一切の訓練を受けていないし、おそらくダイエットもフィットもしていない。強運と直感と、天賦のルックスと声でプライズとフェイムを掴んだんだ。勿論、現場で課せられた訓練はする努力家だという側面もあるとは思った。「パシフィックリム」は体力勝負の映画だし、3分のシーンの為に棒術の訓練を受けている。

N/K なるほど。HIP HOPの側面は作品をどの程度占めると思った?つまり、ワタシの稼働についての推測値は?

――その時はゼロ、というよりフラットだった。どんな音楽が好きか?は、推測出来なかった。ただ、素材の味を最高に引き出すとして、そのときイメージしたのは、オノ・ヨーコ、若くてキュートなフランク・チキンズ、ネナ・チェリーを擁するリップリグ&ザ・パニックの21世紀版。の3つ。

N/K ワタシの出る幕は無かった。

――あの声で「今夜何してますかあ?」と聞かれて「ライブです」と言ったのは本当だ。そこに野田氏と彼女は一緒に現れて、そのまま楽屋、そして打ち上げに来た。そのとき彼女はDCPRGに関して、ノーコメントで、お世辞の賞賛一つなかった。

N/K 普通はウソでも「いやあヤバかったです」とか言うよね。

――そう。だから彼女はとても正直だし、少なくともDCPRGの音楽からは何も感じない。という事が解ったし、まったくミュージシャン的な人物でない事も解った。だって、興奮してるのに、それを言ってはいけないと思っていたかもしれない。完全な異業種だからね。意外な事はひとつもなかったよ。

N/K まあ、ワタシも君な訳だから、総て知っている訳だけど、打ち上げ会場のトラットリアで、君はほとんどアルバムの方向性のA~C案を決定していながら、アリバイというか証言というか、そうだな、容疑者を落とす様な感覚で「どんな物がやりたいですか?」と、すっとぼけて言った。すると彼女は案の定「とにかくエロくてエグイもんがやりたいんすよー!!」と言った。そして「SIMI LABの大ファンで、ラップもやりたい」と言ったんだよね?


――そう、そしてそれは、虚偽とは決して言わないが、誘導尋問によって導かれた自白の様なものだった。その場にはDyyPRIDEがいたしね。でも、それは、誘導尋問の結果の、微弱な虚偽申告だとしても、とてもクリーンだった。


N/K なるほど。


――だって、あのとき「ペペ(トルメントアスカラール)みたいなの」とか「CURE JAZZみたいな、大人の女っぽく」とか言われていたらワタシは混乱したと思う。単純にバジェットも掛かり過ぎるし、彼女の柄と会わない。彼女は歌もラップもアマチュアだったが、自分に何が似合うかは解っていた。上手く行く現場というのは、総てがクリーンなんだよ。そこにいる誰もが酸素と窒素を吸っている様に、誰も驚かない予想通りのフレッシュさが、次々と繰り出される。

N/K そこでアルバム全体の方向性が決まった訳だ。即ち、そろそろ地球上に必要に成って来た「ヘタウマ」のルネサンスという理念的な基盤にまたがったまま、「<オノ・ヨーコ、若くてキュートなフランク・チキンズ、ネナ・チェリーを擁するリップリグ&ザ・パニックの21世紀版>をHIP HOPと癒着させる」という事だね。

――そう。それは彼女が現れなくてもやりたかった音楽だが、彼女が現れなかったら一生やれなかった音楽だ。僕はトスカーナの赤を飲んでいたけれども、余りにその場のバイブスがクリーン過ぎて、3本飲んでもひとつも酔わなかった。

N/K 君とワタシは入れ替わった。厳密には、ワタシが加わって責任者となった訳だが。

――その通り。

N/K 君が座右の銘としている、アレック・ケッシアンの発言は頭に浮かんだ?

――1990年、マドンナのツアー・ドキュメンタリー映画「イン・ベッド・ウイズ・マドンナ」の監督に、あのデヴィッド・フィンチャーの代役という形で就任した彼は、ローリングストーン誌のインタビュウで「いきなり着任して混乱した。とにかく最初にはっきりと解った事は、これで僕は一生マドンナと寝る事(イン・ベッド・ウイズ・マドンナ)は出来ない。という事だよ」と言ったんだ。

N/K 君はUAとの「CURE JAZZ」の時に、その座右の銘の下、プライズとフェイムを得た。

――そこまでワタシが赤裸々に成る必要は無いけれども、これはやはりスパンクハッピーの時の反省だね。以後ずっと守ってる。守ってる方が遥かに作品に良い。 N/K スパンクスの作品は自分的には気に入っているだろ?「そっちのほうが作品に良い」という断言は行き過ぎじゃないかね?

――まあ、そこは黙ろう。あらゆる意味で。

N/K そうだね。ただ、これは言うまでもないが、UAと凛子氏、また音楽産業の名誉の為に、野暮は承知でワタシから敢えて言うが、「プロデューサーはタレントと寝たく成ったら寝れる。或は、その逆も真なり」あるいは「プロデューサーは、タレントと寝たい気持ちを常に抑圧して、良い仕事をしている。或はその逆もまた真なり」とか言ってるんじゃないよな。

--そりゃあそうだ(笑)。ただまあ、世界は乱交の場だけどもね(笑)


N/K ケッシアンの発言は名言だよ。作品のタイトルを含んでるしな。

――いずれにせよ、ケッシアンの発言はまったく浮かばなかった。もう、僕には浮かべる必要も無いし。しかし、このぐらいは我々が発言すべき領域だろう。我々と全く関係ない地帯でシンメトリーがあった。「CURE JAZZ」のレコーディング終了直後にUA氏は離婚し、「戒厳令」では真逆のことが起こった。UAは音楽家上がりの女優で、凛子氏はその逆だ。女性の自己実現のあり方を巡る、一つの凡例として(どちらもオンタイムで既報となっている、という事も踏まえた上で)並列記すべき事実だと言えるだろう。

N/K そろそろ音楽ファンが飽きて来るぞ。野田氏のポジションについては?

――まあそこはオトナの事情という事で、凛子氏がスペシャルサンクスにしたかどうかは読みずらい事で悪名を轟かせている(苦笑)インナースリーブを見て頂くとして、我々は最速で円滑にリリースすべき道を話し合った結果、リリースはSONY/TABOOから。そして音楽の方向性は初動で完全にクリーンに決まった。勿論、彼女にはそんな話ししてないよね?

N/K 未だにしてない上に、そうであるかどうかも彼女には解らない。今は、相手が知らないミュージシャンの名前を口にすると、ディナー中でも検索される時代だ。彼女が「ああー、これがネナ・チェリーですかあ。かっこいいなあー」とか言ったとしても、それはやや楽しそうな徒労に過ぎない。ワタシは説明したがりだと誤解されがちだが、ほとんどの事は誰にも説明しないで進める。どの現場でもだ。会議室に関係者の雁首を揃えて「今回は企画はコレで行きます。良いですか?テーマはコンシューマーに於けるトップバリューのリセット」などとパワーポイントを使って演説するのは、有害なマヌケの指揮者ごっこだ。

――ここからがプロでクション・ノーツだね。あなたは先ず、何をした?

<庭園建築>
N/K ビートメーカーの選定とオファーだった。選考基準はシンプルで、若くて才能があり、オーヴァーグラウンダーではない奴ら。読者が混乱するかもしれないから一応丁寧に書くが、君は東大と慶應という一般大学、並びに東京芸大、国立音大にクラスを持っていたのと別に、亡くなった赤瀬川原平氏が學長を務めていた事もあった「美學校」の音楽科メソッド科の主任講師で、それと別に私塾の「ペンギン音楽大学」を運営している。ここには、大変な才人だが世に出ていないか、一度は世に出たが行き詰まり、改めてリズムやモードの理論を受講しに来る若者が沢山いる。

――「子飼の才能を安く使った」というような事ではないよね?(笑)

N/K まさか。ワタシはもしそも生徒が7歳児でも、ビートがヤバかったら尊敬するし、報酬はワタシと同等に支払う。また「いいか?オレがフックアップしてやったんだからな」といったお安いプレッシュアに至っては、今からでも、少しはかけた方が良いのかな?ぐらいに思っている。これは冗談なんかじゃない。ワタシの根本的な欠点は、生徒にフランクすぎる事で、生徒の中にある、ボスを尊敬する=ボスが怖い。というモチベーションの部分に訴え、彼等を健康的に鼓舞する事が出来ない事だ。HIP HOPのアーティストとして、それではいけないと真摯に思っている。

――よく解るよ。自分の事だからね(笑)

N/K 田中思郎くんは美學校からペン大へ来たが、J・ディラ・チルドレンとして非常に優れたビートを製作しており、自分に不足している事をぱっと掴んで自己更新した。余りの素晴らしさに、JDの「ドミュニストの誕生」で、全面的に参加してもらった。アンフォルメル8の三輪裕也くんは長らくペン大分析クラスの助手であり、既に相対性理論のリミックスは2人でやったし、あれはなかなか良い仕事をしたと思っている。山下君(DJテクノウチ)は美學校に入学した時点でジャパニーズハードコアテクノの有名DJだったが、壁を感じて君の授業を受け、作品の奥行きが大きく広がった。まずこの3人は外せない。もし生徒でなかったとしても、作品を知っていたら、やはり外せなかっただろう。

――あとは生徒ではない2人だね。

N/K 翔くん(HI-SPEC from SIMI LAB)のビートがヤバい事は言うまでもないとして、当時ワタシは---これは結局は頓挫してしまったんだが--、QNとコラボするプランニングを彼から貰っていた。彼は残念ながらまだ所得が低い、だからこう言ったんだ「なあQN?オレがそっちに参加するとギャラが必要に成る。オレはSONYと契約しているんで、どんなにノーギャラでやってやりたくても、出来ないんだ。だけど最低限に抑える事は出来る。というか、今、菊地凛子という女優がビートを欲しがってる。それを送ってくれないか?この往復を等価交換にしよう。つまり、金は動かない。ジョブが二つ動くだけだ」。QNは快諾してくれた。

――しかし、QNの参加に関して、HI-specやOMSにはどう相談した?QNとSIMI LAB、特にOMSBとはまだ基本的にはビーフ(ケンカ)冷戦関係だろ?

N/K 勿論。田中君、三輪君、山下君、そしてQNに直接オファーをし--通常こうしたオファーはSONYが行うのだが--幸いにもOKを貰えた後にすべき事は、とにかくSIMI LABに筋を通す事だった。既にワタシは「粋な夜電波」で「OMSもQNも今後は同等に支持したいし、同等に共演したい」と発言している。「戒厳令」の「か」の字も無い頃だ。それでも筋は通さないといけない。ラッパーとして参加するOMS、DyyPRIDEには、、、

――MARIAさんには?

N/K 何も言ってない。彼女は聖母だし。

――なるほど。

N/K あとは翔君。3人にはこう言った「今度のアルバムではQNを使う。もしみんなのうち、誰かが拒否するようだったらQNは使わないし、君等が拒否ったとは言わない。しかしQNにもそれは伝えてある。自分がした事を考えてみればわかるな。と」

――デリケートな話しだから、彼等の為にもここまでにしよう。

N/K そうだね。ただ、翔くんもオムスもDyyPRIDEもこう言ってくれた「あいつと同じトラックで共演する事は断る。でも、あいつはやることやってるし、認める。なので、共演しなければ構わない。菊地さんの判断の邪魔はしたくない」

――当のQNは?

N/K 「え?、、、いや、、、オレはそういうの、、、何も無いす」ときょとんとしていた。あれは演技じゃない。ちょっと頭がおかしいんだQNは。

――そんな事インタビューで言ったらビフられるぞ(笑)

N/K 彼にビフられるほど、ワタシはラッパーとして実力もフェームも無いよ(笑)。

――まあとにかく、アナタも含めて、6人のビートメーカーが集まった。OMSのビートを使わなかったのは?

N/K OMSはエッジ過ぎる。ポルシェみたいな高級車だ。彼ほど「ヘタウマ」に親和性が低い才能は無い。

――とはいえこのアルバムは、QN(菊地一谷)のファーストコールで始まり、実質上のラスト曲はOMSBがftされている。まるで前門の虎と後門の狼が出入り口を封鎖している様な造りになっているね。

N/K ミュータントのテロリストであり、21世紀の山口二矢であるQNを、rinbjöはドライヴしながら探している。QNが、「菊地」の方は兎も角、「一谷」を名乗った時には「戒厳令」のリリックは全部出来上がっていたよ。日本史に興味がないほとんどの人々は、浅沼稲次郎刺殺事件を戦前の出来事だと思っている(実際は1960年)。現場は日比谷公会堂だ。こうして、倒錯されスリップした戦前としてのテロ事件という激しい快楽からアルバムは始まり、恋の終わりという激しい快楽で閉じる。しかも、OMSBに去られる女性は、1人だが二重だ。ヴォカロイド化され、結晶化したrinbjöと、生声の痕跡が残って熱唱する菊地凛子と。OMSBは蝶と繭を捨てることになったんだ。これこそが夏の色男と言えるだろう。OMSBが濃いめのカラードだという意味じゃないぞ(笑)。

――近松みたいだな。ジャパンクールだ。

N/K まあね、しかし、こうした話は総て事後的に分析した物であって、最初からプランニングした物じゃない。よくあるシンクロニシティだが、ビートメーカーに同時にオファーをかけ、最初に届いたのが「戒厳令」で、最後まで粘って出て来たのが「さよなら」だった。まあ、4月の初旬には総てのビートが出そろった訳だが。

――多くの人々が誤解する所だ。坂本龍一に「音楽の計画」という曲がある。あれは、音楽を計画する事が如何に危険で恐ろしいかを歌った物だ。我々はフロウしている。僕から観れば、ワイルドぶってトランスを演じている若造の方が遥かに姑息な計画を立てている場合が多いね。

N/K まあ、本当にフロウする事のセクシーさと恐ろしさはユースにはなかなか解らないから仕方が無い。それは兎も角、ここまで揃っていた集合無意識的な観念連合を「戒厳令」というタイトルと楽曲がまとめていった。「戒厳令」となる田中史朗くんのビート、「さよなら」となる三輪君のビートが与えてくれたイマジネーションの巨大さはいうまでもない。

――このアルバムを庭園とするなら、入り口と出口と中央にジャパンクールが置かれていることになるね。中庭にあるのが山下君(DJテクノウチ)の「空間虐殺」と「蛇のmean」。

N/K そう。厳密には「現状のジャパンクール」だけどね。いみじくも今君は「庭園」といったが、要するに箱庭だよ。アルバムの制作というのは、そもそも最初からその属性があったが、配信全盛の近未来において、わざわざジャケットをこしらえてアルバムを作る。という行為は、音楽家とユーザーの共有的な箱庭療法という側面が上がって行くしかないだろう。箱庭療法は本来個人的な物だ。だが庭園建築はその逆だ。そこに倒錯的/社会的な意味がある。

――ユーザーからの反感が期待されるね。お馴染みの、音楽家は黙れ、そしてニューアカ撲滅という。

N/K いや。彼等も、そして同等にワタシも、だが、それほど愚かじゃない。まだワタシや君を衒学的だとか高踏趣味だとか言って興奮する人物は、現在最も平和で穏やかなバカだ。彼等に触れると癒されるよ。ワタシは常に、現在最も必要な栄養素を求めているだけだ。

――しかし君は、庭園の、言わば周縁というか第三世界にあたる位置に、あたかも主目的であるかに見えるほどの副目的、いや、それは二種盛りやツートップという事かね。

N/K そうだね。「ハリウッドセレブ」の登場だ。ワタシと君のイマジネーションの源泉にはケネス・アンガーの「ハリウッドバビロン」がある。「南米のエリザベス・テイラー」である「ルペ・ベレス」の象徴性が役割を終えかけた所に、実物のアカデミー賞ノミニーが現れた。

――電話でね。
N/K 「戒厳令」「さよなら」「空間虐殺」が庭園の拠点や導線だとすれば、彫刻や噴水が置いてある花壇が「sTALKERs」と「MORNING」だ。

――奇しくも、HI-specとQNだね。

N/K 2人のビートの構造は真逆だった。捩じれて行くHI-spec、真四角になるQN。しかし往々にして、それらは同じコインの表裏だ。アナロジーが並びすぎて疲れたね。今日のセッションはココまでとしよう。


第二回

<動画コンテンツ追加>
――二回目を始める前にちょっとした宣伝だが、このコンテンツの一種のスピンオフとして、レコーディング記録動画がここと同じサイトに、4回に分けてアップされるようだ。君が撮影/編集したね。

N/K そう。ワタシはレコーディングを含む製作期間中、自分でカメラを回し続けたが、

ーー話の腰を折ってすまないが、それは「女優を自分で撮影したい」という欲望に基づくものと思ってる?

N/K いや、解らない。当たり前の話だが、CD製作にカメラマンは存在しない。PV用に軽く撮影が入る、といった事を除けばね。だから自分で回すしか無かった。カメラを持たせっぱなしに出来る様な手下もいないしね。公開するのは完成から逆算して4ヶ月分だが、カメラはほぼ1年間回し続けた。

ーーいや、僕が聞きたいのは欲望だよ。自分が一番上手く撮れる。といった自負は?

N/K 意識上は無いよそんなもん(笑)。でも、動画の1回目を見てもらえば解ると思うけど、スタジオのブースモニターがモノクロでね。そこで歌う為にセッティングしている凛子さんをアップで撮影した瞬間、「ああやっぱ流石だな<絵になる>とはこういう事か」と思った。それで撮り続けたんだ。まあ、君(という事は、演繹的にワタシも)は映画監督志望だったから、その問いは致し方ないと思うが、

——と、いうよりね、これは「女優を歌手にする。しかも、いきなり相手に乞われて」というこの特殊なミッションに関わる、重要なポイントだと思うんだよ。

N/K なるほど。そうだね。

——僕は声優を歌手にする仕事もした事があるし、映画音楽を担当する事で女優と仕事をした事もある、歌手と女優を兼業するタレントと仕事した事もある。しかし、ある日女優から歌手にしてくれと言われた事は無い。その事があなたのイマジネーションをどう刺激したか?前回のセッションは、そこにさしかかった所で終わっている。

<金の卵>
N/K その通りだ。じゃあ、その話に入る前に君に聞くが、君がTABOOの立ち上げを決めたのは3年前(12年)の半ばで、レーベルの名前も決まり、制作スケジュールもフィクスして、公式に発表するのは一昨年(13年)の暮れだ。

——そうだね。このウエブサイトのトップページにある「TABOO立ち上げに際して」の日付は「2013年12月24日聖夜」とあるだろ。この段階で、TABOOの開始年は「戦前と戦後」「夜の歴史」「キュアジャズリユニオン」そして後に「南へ」になる<ものんくるの新作>、の4枚になると決定していた。更に言えば、2年目、つまり今年の制作スケジュールも決まっている。

N/K そんな準備万端な中、菊地凛子氏が飛び込んで来た時に、君が考えた事は?「インターナショナルマーケットで売れる金の卵が飛び込んで来た。幸先いいぞ」?それとも「面倒な事になったな。どうしよう」?

——読んでる人が混乱すると思うが(笑)、あなたは僕である訳だから、答えは共有している訳だが、それでも声を大にして言うけれども、そんな簡単な話じゃないから、こんなコンテンツを書いてる訳だろ(笑)

N/K そうだね(笑)。ただ、セールスに於ける金の卵とは全く思ってなかった。それは前回言った通りで、先ず強くワタシのアティテュードを揺さぶったのは、音楽の姿が瞬時に見えた事。それが魅力的であった事。つまり、ワタシが作品を作るときの平均的な条件を満たしていたからだ。ワタシは音楽至上主義の発狂したオプティミストだが、有名な女優が歌のアルバムを作ればばんばん売れる。等と思うのは、オプティミズム以前に、単にデータ不足過ぎるよ。誰の事とは言わないが。

——特に、これはディスではなくむしろ賛辞として言いたいし、凛子さんとも瞬時にコンセンサスが取れた事だが、彼女は純血の日本人なのに、日本がアウェイであるという、類例のない特性まで持っている。あなたのミッションには「女優としての菊地凛子よりも、シンガー/ラッパーとしてのrinbjoの方が、日本人のマーケットで喰いやすい物として、がぶがぶ喰わせる」という条項が加わった。

N/K そうさ。過去ワタシ(と君)は、声優が歌手になる仕事もしたし、映画音楽もやって女優に歌唱指導をしたりした事もあったし、女優と歌手を兼業している女性のプロデュースをした事もある。経験ではなく、他者からの話も含めるなら、女優について、世界一解っているぐらいの勘違いだってするだろう。しかし、rinbjoはそのどれとも違う。ワタシはアウェイが好きだ。厳密に言うと、アウェイから事を始めるように生まれついている。彼女は、音楽界の中にいる限り、もうワタシには一生得られないかもしれないアウェイをもたらせてくれた。ホットだね。年間の制作スケジュールが1枚増えるというのは小事ではない。しかし即決した。ホームは嫌いだし、ワタシには寄り付かない。

<演技と演奏(歌唱)>
——もう少し「女優」「歌手」について続けさせてくれ。あなたは前回も今回も、菊地凛子氏とは点対点的に一瞬でネイションを結んだと言った、が、実務として女優と歌手がまったく違うベクトルである事は知っているのはあなたの方だけだろ。

N/K ワタシはアルバムにある通り、一般人が「自分はドS」とかいうのをフロイディアンとして容認出来ない。話はそんなに簡単ではない。しかし、少なくともPとしてのワタシが「ドS」や「ドM」でない事は間違いない。要するに、しごいて泣かせる事も、ワガママを言われて振り回される事も、ワタシの自我は召還しない。ワタシは<公園で遊んだら皆が楽しい><セックスをしたらどちらも気持ちが良い>そういう風にしか音楽が出来ないという意味で幼児的だし、ドラッグ的だと思う。

——飴も鞭も使わないと。

N/K 「使えない」が正しい。もしくは古典的な意味での飴と鞭の意義を軽蔑しているとも言える。だから、飴と鞭が欲しい相手には、こちらのやり方を受け入れてもらうしか無い。

——制作日記に戻るという事かね。

N/K ビートメーカーを招集し、先ず会食をした。因みにその日、彼女は宇川(直宏)くんと飲んでいてーーースケジュール手帳に書き間違えたんだ。これには理由がある。彼女は欧米での仕事にはエージェントがいるが、日本だと自分で総てマネージメントをしないといけない。という状態だったんだ。だからこその大ジャンプだったのだが、これは後に改善されるーーーとうとう来なかったんだけどね(笑)。そしてその次には締め切り期限を過ぎたビートメーカー達の尻を軽く叩き、果たして、本当に素晴らしいビートが集まった。ワタシはその中からアルバム一枚分ーーやや多めのポーションを設定しーーある日彼女にそれらを聴かせ「これがあなたのファーストアルバムになります」と言った。

——それは飴ではないのかね。

N/K いや、判断出来なかった。何せビートだけだからね。「はあ、そうですか。カッコいいー。どんな風になっていくんですかね?楽しみだなあ」などと言われたら、飴としては相当小さい。しかし彼女は狂喜に近い反応をして「素晴らし過ぎです!!!あたしいつ女優を辞めても良いです!!!」という、女優としか—或は、精神的にアメリカ人としかーー言いようの無い大振りな反応を示した。さっき言った<ワタシのやり方>がコレだ、という意味ではないよ。今はただ時系列に沿って回想しているだけだ。

———では、あなたのやり方とは?

N/K 「凛子さん、ワタシはしごいたり追いつめたりしません。お世辞も言わない。というか、音楽はそもそも、そういう物ではないです。凛子さんは女優さんだから、もう身体がそういう風に出来ていないと思いますが、しごかれもせず、追いつめられずもせず、楽しく遊んでいる間に作品が完成します。その事に驚くと思いますから、最初に言っておきます。ひょっとしたら、手応えや、やり甲斐を感じないかも知れない」と言ったよ。これはPとしてタレントに信用されるかどうかの危険な賭けでもある。

——相手が自分の中で追いつめられたりしごかれたりしたら嘘をついた事になってしまいかねないからね。賭けに出るときの法則は?

N/K 自分と相手を敬意を持って信じる事。

——恥ずかし気もなく素敵な事を言うね。賭けに負けた事は?

N/K 音楽をやって行く上では一度も無い。音楽から外れたら、そもそも博打は打たない。まあ、チンピラが路上で無敗というのと同じだと思ってくれて良いよ。ワタシは自分と関わった音楽家は一人残らず全員尊敬し、信じている。今この瞬間も。

——凛子さんが女優業に窒息していると見て取った上での勝ち戦だろ?(笑)

N/K まあそうかもね。それでも、女性の心身に染み付いた習慣が簡単にはデプログラム出来ない事は、君だって良く知ってる筈だ。動画の初回を見てもらいたい。彼女があのとき抱えていた物は、不安ではなく、過去の習慣にしがみつく事だ。

——今となっては懐かしいな。

N/K 彼女は録音のローリングが止まる事を、撮影でカットがかかる事と同一視していた。

——音楽家でない読者の為に敢えてとぼけて聞くが、それはまったく別の事なのかい?

N/K 原理的には全く違う。演技には平均律も調性も存在しない。唯一的、物質的な正解が無いんだ。音楽にはそれがある。音は外すか、外さないか、基本的には二つに一つしか無い。だからこそ演技は実存しない回答を求めてあらゆるハラスメントを道具として使う事になる。しかし、音楽は当たったか空振りしたか、だけな上に、スポーツとも違って、当てなければいけない、という縛りすら無いんだ。ハラスメントは必要ない。遊戯の才能だけが求められる。

——とはいえ、音楽の現場を演劇や映画の現場にする自由は認めるだろ。リテイクを繰り返させて泣かせるサディズム。

N/K 勿論。さっきのは単なる持論だし、下手するとドラマティックな現場の方が多数派かもしれない。しかし女優、乃至、女優的な感覚の歌手、が、そんなPと組んだら、大変に危険だ。様々な意味で。ワタシは「凄く良かったです。もうオーケーです」「NGだとしてもOKです。整形手術するから(笑)」以外、ディレクションの言葉は使わなかった。凛子さんの痰が絡んだ時以外はね。そのときは「歌のビギナーの喫煙者にはよくあることです(笑)」と言ったよ。「この曲はこういうテーマなんですよ。だからこういう気持ちを込めて下さい」というのは、音楽家ではなく詩人のやる事だね。

——しかし、予想通り、一回目のリテイクは凛子さんを普通にフラッシュバックさせた。映画の現場に。

N/K 女優というのは、本当にドMの仕事なのだなあと思ったね。彼女は「すみません。自分の歌っている音がわかりません」と言って、本当に、自分の頭を抱えて、長いため息をついた。絶望を表現する演技のように。

———「この人は遊びだと言っていた」という事を彼女が知覚するのに、どれぐらい時間がかかったかね?

N/K 2回目のレコーディング・セッションで、「うううー。音がわかんなあーい」と言って、ヴォーカルブースの壁———ふわふわしてるんだ。防音材でーーに爪を立て、猫がよくやるように、ぐーっと背中を反らせて、それから床に座り込んだ。その瞬間に、彼女は遊戯のモードに入ったんだ。自然に。あとは転がる石だったね。

——それは最後まで変わらなかった?

N/K うん。ただ、ストレスも与えなければならない時が来た。これも女優の属性だが、早くから台本を貰うと、憶え、練習する。渡してしまったら、「練習はしないで下さい」と言っても、絶対にする。そうなってはいけない曲が多かったから、敢えて録音直前までデモを渡さなかったり、テストテイクをOKにしてしまったりしたね。もの凄いストレスだったと思うよ。

——「思う」って、確認してないのか?

N/K する必要は無い。あの目力で睨まれれば、誰だって彼女が穏やかではない事は解るだろう。ワタシは何事もないかのようにとぼけていた。このアルバムのテーマは「女優を演技から解放する事」でも「シネフィルのプロデューサーが映画監督気取りで作る音楽アルバムに主演女優読んで自分の作品を演じてもらう事」でもない。「演技」と「リアル」を、女優によってメタレベルに止揚することで、今まで無かったようなフレッシュなリアルを獲得する事だ。

——前回出た「ヘタウマの復権」とほぼ同義と考えていいのかね?

N/K その通り、ついでに言うと、これは君のソロアルバム「南米のエリザベステーラー」と位相が真逆になっている。つまりアンサーだ。

——あのアルバムの制作時、僕は「予め存在しない女優」を探してパリとブエノスアイレスにまで行った。そして震災があった3月、エリザベステーラーが亡くなり、ブルーノート東京で追悼公演をした。

N/K 君はオブセッションと象徴を失った。その結果、ワタシが生まれた。つまり君は、11年11月11日に、ラジオ番組でラッパーとしてデビューするよね。そして、「南米のエリザベステーラー」から丁度10年後に、今度は、実存する女優が、ニューヨークからワタシの所にやって来た。

——いくらAB型の双子座だからって、これではシンメトリーに対するオブセッションだと言われても仕方が無いだろうね。

N/K 誰がコントロール出来る?こういった総てを。人生に計画性を導入できるとし、あらゆる予測値に縛られている人々に余計なお世話を言いたい。君等は、計画通り、もしくは計画が外れた形で死を迎える事になる。人生の先読みなんて、今すぐ止める事だ。我々はフロウして浮浪して不労するだけだ。

——いきなりラッパーらしくなったな(笑)。今回の最後に付け加えさせてくれ。「10年って、なんだかんだいってもひとつの周期ですよね」「何も計画しないんです。そうすると必ず誰かが現れて、上手く行くんですよ」「飽きたら止める。そうしないと死んじゃう」と、誰が誰に言ったかは、いうまでもないだろう。

第三回

――三回目を始めよう。一回目と二回目はコンセプチュアルな話しが多かったから、今日は収録曲について具体的に解説を貰えるかい?

N/K 良いよ。全曲の事を、隅から隅まで、未だにハッキリ記憶しているからね。

――収録順で行こう。先ず「戒厳令」

N/K beatを作った田中君は君の生徒だが、我々との関係で言えば「ジャズドミュニスターズの、<オーヴァーグラウンド寄りのチューン>のビートメーカー」と言えるだろう。

――そうだね「FOOD」「XXL」「夜戦と恋愛」「NEW DAY」を作り、君の「DRIVE」「AGITATION」のマニュピュレイターも務めた。

N/K 田中君はOMSBと似て、HIP-HOPのピュアヘッズなんだ。常にHIP-HOPばかり聴いて、常にHIP-HOPの事ばかり考えて、HIP-HOPを通して世界を見ている。

――最も一番趣味の良い人たちだね。現状に於いて、一番正しいと言うか。

N/K そう。「ポップスがHIP-HOPを喰っている。ポップスの胃袋が一番でかい」と考える人々も多いが、ポップスのシンガーが間奏にラッパーをFTする事を指しているのだとしたら、木を見て森を見ずの故事だね。ポップスの新しい可能性は、現在の所、ほとんどHIP-HOPが持っている。IGGYの「FANCY」はその事を証明してみせた。

――BET(BLACL ENTERTAINMENT TV)やグラミーなどの重要なアワードでは気の毒だったけどな。ヌープにしかけられた幼稚なビーフも(笑*注:スヌープ・ドッグはインスタグラムに「これがノーメイクのイギーアゼリアの写真」というキャプションで、オランウータンの写真を載せ、あまつさえやや似ていた)。その事も含め、もうHIP-HOPがポップのラボではない。これからはエレクトロニカがそれを担う。という説もあるけど。

N/K まあまあ、話は田中君だ。彼はビートメーカーとしては最もスキルフルで仕事も早く、かつエッジである事も常に意識している。君の所でモードチェンジの理論を習った事もあってか、和声的な色彩感も豊かで、邦楽っぽさがない。彼が今回、ARCA(FKAtwigsのプロデューサーとして、また、ソロ作品「ZEN」によって、現在最も注目されているビートメーカー/プロデューサー)をどのぐらい意識したかは解らないが、真っ先に届いた2つのビート(「戒厳令」「反駁」)は、どちらも彼からの物で、どちらもFマイナーで、どちらもグルーヴタイムが崩落するような、つまり「ARCAマナー」と「言えなくもない」感じの、エッジなタイム感覚を持ったものだった。基本リズムからSEまで、いろんなタイムが空間を衝突しながら飛び交っている様な。

――何か指示は?

N/K 「戒厳令」の方に対して、「こういう風にするなら、もっと壊して良い。ベースの打点を、前後にちょっと動かしてみてくれ。もっと解りずらくなるから」と言った。それだけ。そもそも素晴らしかったからね。

――「戒厳令」という楽曲になって行った過程は?

N/K さっきARCAマナーと言ったばかりなのにアレだが、ARCAのようにタイムが液状化してはいない。あれはどうしてもホルマリン漬けや奇形を連想させるので、デーミアン・ハースト的だし、欧米人ですら、よっぽど美的にしつらえないと喰えない。田中君のはむしろ先端恐怖症的というか、狂った折衷様式というか、いろいろなサイズの建築素材が発狂したまま組み立てられている感じがした。生物的な奇形というより、建築や記憶の奇形だね。アルバムのオープニングを彩る「戦前感」は、ここから来ている。洋風建築に和風の屋根がかかっている「帝冠様式」といえば元・軍人会館である九段会館が有名だが、あそこが二・二六事件のときに戒厳令司令部が置かれた事は誰でも知っている。

――初回のインタビューであなたは「QNが<菊地>は兎も角<一谷>を名乗った事で総てが決まった」と言ったね。

N/K あのbeatによって、ワタシの中で、浅沼稲次郎刺殺事件(1960=戦後)と二・二六事件(1936=戦前)が遺伝子組み換え事故のような事を起こした。浅沼事件の犯人は「山口<二矢(おとや)>」だしね。生物的な掛け合わせの失敗は凄まじいグロテスクを生む。だが、前述のハーストから英フェックストゥイン、ビョークまで繋いでしまうあの感覚はワタシにはトゥーマッチだ。だからRinRinbjöは、もっと美しく貧しいミュータントであってほしい。「美しくて貧しい」というのは童話のヒロインの事だし。

――さぞかしワクワクしたろうね。

N/K アルバムが「いけた」と思う瞬間は、早ければ早いほど良い。後に話すが、田中君からの第一便からほどなくして、翔くん(hi-spec)と山下君(DJテクノウチ)が、まるで競馬のゴールみたいに僅差で届いた。数時間とか、そのぐらいだったと思う。ワタシは数時間のあいだに6回連続で「いけた」と確信した。凛子さんの引きの強さは凄い。だからTOP LINE(所謂メロディーの事)もリリックも30分ぐらいで書いたよ。書きながら、QN(現:菊地一谷)をFTすることも決まっていた。「戒厳令でも敷かれそうな星振る夜のドライヴィン・コース」このコースはスタジオ・コースト(俗称AGEHA)に向かっている。我々はスタジオ・コーストのパーティーに車で向かう。いよいよ有事になるかも知れないと思いながらね。それが現代のクラブカルチャーだよ。

――TOP LINEの美点は?

N/K ちょっと昭和歌謡みたいでダサいかな?と思うギリギリにした。そうした方が、beatが持つ、ギザギザで脱構築的なヤバい音像を活かせるし、「昭和(特に80年代風)歌謡」が既に「まるで戦前ぐらいの感じで」レトロ感にスリップしているという、歴史感覚の混乱を閉じ込めたかった。特にラインのレスポンスである「ほ・し・ふ・る・よーるの」という部分はムード歌謡みたいだ。

――QNには何と伝えたんだい?

N/K テーマは「戦前」と「テロリスト」と言った。最初にレコーディングに彼が現れてラップした時は「ぜんぜん関係ねえじゃねえか、こいつ何も聞いてねえな(笑)」と思ったけど、良く聞くとちゃんとアジャストしている。天才だね。ところが、だ。途中で「あれ?俺、テーマ間違っちゃってますかね?書き直そうかな?何でしたっけ?」なんて言うんだよ(笑)。だから「いや、合ってるよ。テーマは戦前とテロリストだけど」といったら、イントロでいきなり「相変わらず世紀末なう」と言ったんだ。あれは彼の即興だよ。

――いくらでも話しが出て来そうだけど、次に「3b」に移ろう。

N/K これは一種の極端主義だけど、レコーディング動画を見てもらえば解るが、「戒厳令」は最初に、「3b」は、最後にレコーでシングしたから、つまり最初と最後にレコーディングした曲が、1曲目と2曲目に並んでいるんだ。ただアイデアは「戒厳令」より前にあった。「ハリウッド女優」というエロスとタナトスのアイコンが導く物。というのは、前回言った通り、凛子さんと組むことになった瞬間から着想していた事だ。「sTALKERs」「MORNING」「アニー・スプリンクル」「3b」は、同じイマジネーションのヴァリエーションだよ。田中君を起用していなかったら、このアルバムはもっとハリウッドバビロンなだけのアルバムになったと思う。

――中でも「3b」の通俗性とテクニカルな新しさのバランスは、グルーヴしている捜索時感でしか生み出し得ないクオリティだね。

N/K 誰が聴いたって、これはアジーリア・バンクスの「212」や「ATM JAM」、M.I.A ―――勿論「I.C.I」命名のフックになっているーーのミックステープ等の路線をやろうとしている事が解る。それを女子3MCで、しかも本物のラッパーは1人で、更に3MCが全員バイリンガルである事を利用して、真ん中のガールズトークのパートを入れる事にした。ここまでは通俗性の範囲だ。

――通俗性の中にも階級があるという事か。ガールズトークがだんだん英語になって行く、というアイデアは、どこから得たんだい?

N/K 単に英語だけならタランティーノの「デスプルーフ」とか山ほどある。問題は、日本語がモーフして行く所で、これはいつかどんな形ででもやろうと思っていた所に、素敵なレディが3人も集まってくれた。という訳だが、根本にあるのは水村美苗(小説家)の「私小説」だよ。これは、アメリカ生活歴がある姉妹がダラダラ電話をしているだけの小説で、横書きで統一されている。途中で英語になるからだ。頁によってはほとんど英語だったりするが、翻訳は付いていない。この小説、そして水村美苗は本当に凄い。

――僕も彼女の作品には多大なる影響を受けているよ。彼女はブロンテの「嵐が丘」を、日本を舞台に移し替えて後日談まで含めた「長編小説」を書いている。僕の「嵐が丘」そして、「ルパン3世/峰不二子という女」のOPになる「新・嵐が丘」は、彼女へのリスペクトだ。

N/K  そこでワタシは、言ってみれば彼も君の生徒である所の

――いや、「生徒」というほど長期的に教えた訳じゃないけどね。

N/K まあ、そうだが、「文科系ヒップホップ入門」という本が話題になったメルヴィルの研究家で、君の「デギュスタシオン・ア・ジャズ」にもナレーションで入っている大和田俊之さんに連絡をして、事の全貌を話した。彼は大変乗り気に成ってくれて、アルバム全体の英語のアドヴァイザーになって貰おうと思っていたんだけど、忙しくてね。「3b」と「MORNING」の英訳、という仕事に留まったんだけど、その時に水村美苗の「私小説」の話しをしたら「僕が日本人で唯一好きな作家です」と言っていたよ。

――だけどその前に、君は先ず、Rinbjö、MARIA、I.C.Iにその事を相談しなければいけなかった。

N/K そうだ(笑)。ワタシはガラケーなんで、3人にCCしたメールをLINEだと言いはってね。「お三方へ。先ずはMARIAさんのヴァースを受けてワタシが全体を作ります<既読>」と書いていた。まったく意味は解らなかったが、LINEというのは文章の終わりに<既読>と書くんだろ?凛子さんは「ナルヨシさんコレ最高っすよ!!だはははははははは!!」とか笑っていたけど、後の2人はまあ、プロデューサーだし、さむーとかは言わない様に頑張っていたと思うね(笑)。

――あなたはジャズドミュニスターズの「XXL」の時、先ずMARIAさんにヴァースを書いてもらって、それから自分のとI.C.Iの分を書いた。

N/K ラジオ番組でも話したけど、本当はそれはMOEさんだったんだ。だがMOEさんはポリシーがあってセクシャルな事やジェンダリックな事は書かないし、そもそも書かれた物はラップしない。そこで急遽I.C.Iが開発されたんだ。MOEさんに断られたのは全く気にならない。音楽家のポリシーが発動する瞬間は常に正しく美しいからね。むしろ真面目なMOEさんの方が過敏に恐縮してしまった。でも、お陰でワタシはかなり楽しい時間を過ごさせてもらった。

――MARIAさんとのコラボレーションかい?

N/K そうだ。ワタシは彼女がバイセクシュアルを標榜している事を全く知らないまま「あのうMARIAさん。フィメール2MCで、レズビアンに関する曲を作りたいんですけど」とメールしたんだ。その時のMARIAさんの口調は、今でもモノマネ出来るほどだよ。「ああ、それ超いいっすねえ。じゃああたし先書いてみまーす」と言ってね。3日で出来上がった。それを読みながらワタシは1時間ぐらいでI.C.Iの分を書いて送った。「やばい。菊地さん女の子だったんですね。完璧じゃないですか」あんなに楽しい時間は滅多になかった。13年夏の思い出だよ。

――思いでよもう一度。という感じ?

N/K いや。同じ様に行く訳はない。今度はもっと大仕事になると解っていたから、ワタシは慎重に、先ずはN/K LINEで「お三方がバイリンガルである事を活かして、ガールズトークがだんだん英語になってしまう。という部分を作りたいんですが、どうでしょうか?<既読>」というメールを送った。3人とも大賛成でね。それから大和田さんに、日本語で書いた、演劇の台本みたいなものを送り、それにモーフィングを掛けてもらったんだ。

――あれを3人のリアルトークだと思っているリスナーも多いと思うけど。

N/K まあ、少なくとも彼女達の即興ではない。書かれた物だ。しかし、物凄いリアリティが溢れている。テキストを読んで、リアルかリアルじゃないかは、俳優の演技力みたいな物とは違う階層にある。この事は説明出来ないね。3人はーー動画にある様にーーひとつのブースに入ってハイになっていたよ。そのまま4人で寿司屋に行ったぐらいにね。

――一人一人がまず身長と角膜の色を申告する。というのもあなたのアイデアかね?

N/K そうだ。講談や歌舞伎によくあるよね。というかHIP-HOPによくある。それにしても、MARIAさんのヴァースが届いた時は自分のPCが爆発するんじゃないかと思うぐらいアガったよ。彼女は多くの人が思っているより、ずっと複雑で才能豊かな人だ。エロキャラは自分がバラバラに成ってしまわない為の重石のようなものだ。本当に凄い才能だと思う。ワタシは慎重さを心掛けながらも、やはり1時間ぐらいでフックまで含めて全部書いてしまった。MARIAさんに導かれてね。

――大和田さんの仕事も素晴らしいね。

N/K 最初から既成の楽器を使わずに生まれたHIP-HOPは、まだまだ外部からの参入の余地がある文化だ。例えば文学者、例えば言語学者、例えばモダンアーティスト、あらゆるインストゥルメンタリストはいうまでもない。韻を踏む訳ではないが、モンストゥルメンタリスト、例えば統合失調者のDJやMCは、他のジャンルと比べてHIP-HOPには非常に少ない。このままだとロック化するだけだ。マッチョな狭い世界での腕比べ。頭の固いファンの結束と消費。ジャズミュージシャンから分離した者として言わせてもらうならば、それは音楽の死を意味する。

――テクニカルな新しさに関しては?

N/K この曲のリズムの構造は、実のところJUKEのあり方に依拠している。このニュープリミティヴなリズムは、ちょっと古いがバイレファンキだとか、南米系の典型的な音形でもあるんだが、マシンビートとしてグルーヴ感を取ってしまうと、5連に錯覚されるようになっている。このチューンではガールズトークの前後のキックだけになる部分と、フックの「ピンキーなピンキーな」という部分は、近似値5連を正規5連に錯覚させている。

―――伝わるかね?それ?

N/K 技術的な事だから、1人でも伝わればそれで良い。JUKEというのは入力5連(実質の5連)と、近似値5連の錯覚をミックスした、つまり、はじめて「5連」を獲得したマシンミュージックだ。その事の喜びに満ちあふれた音楽と言える。ただ、錯覚させるには高速性が必要だった。高速性は均一性をもたらすから(どんな音楽も最高速で再生したら、同じ「キュルキュル」というサウンドになる)、近似値の錯覚が起こり易く成る。だが、このチューンでは、JUKEほど高速でなくとも、その事に意識的であれば5連の錯覚が起こりうる。という事を試作している。中低速のポリリズムだ。

――いるかな1人でも(笑)。

N/K いやあ、いっぱいいるでしょう。今、凄いよ。アマチュアのビートメーカーは。話しの分かり方が。ただ、これは仕方が無いんだが、ネガティヴという無尽蔵のマネーで猜疑心や反感というジャンクフードを買ってしまう人がいて。例えばこういうとき、「<こういう難しい話しが解らない奴はバカだと言ってやがる!!」と思い込みたがる(笑)。この人々のメンタルは逆に強くしぶとい。どうやってほぐして良いのか解らないよ。

―――っていうか、ほぐさなくて良い派だろう(笑)。アナタは。

N/K いやあそんな事は無い。ほぐせるのであればほぐしたいさ。ただ、音楽について語る事はかなりスリリングな博打で、半分の確率で人を苛立たせる。音楽について書いて、一切誰からも苛立たれたくなかったら道は一つしかない。大著であろうとSNSであろうと一文字も書かない事だ。しかし、苛立つ事さえ封じられた者は殺し始める。怒らせ、苛立たせるのは良い事で、プロレスのヒールは聖職だよ。ただ、「オレを殺せ」というのはロックンローラーの特権として譲るべきだと思う。偉大なるザ・フーのドラマー、キース・ムーンのTには標的がプリントされていた。「ここを撃て」という事だ。とっくに撃ち合いを終えてるラッパーがそんな事してサマになるか?言葉を多用する音楽家であるラッパーは「オレに苛立て」というのが特権だ。人を苛立たせる事も出来ないラッパーは、せっかくの職業的特権を親戚の叔父さんか誰かに譲渡してしまう、親戚思いの愛すべき人物だよ。

――いやあしかし、この調子だと永久にこのインタビューは続きそうだ。「魚になるまで」について、なるべく簡潔に答えて欲しい。このテキストは、「けもの」の青羊さんのために書いた物だよね?

N/K そう。オリジナルバージョンは君がプロデュースした「ル・ケモノ・アントクシーク」に収録されている。

――若妻の独白だよねこれは?

N/K そうだよ。

――青羊さんも凛子さんも、アルバム発売後のほぼ直後に結婚して若妻となった。あなたは、2人に未来の夫がいた事を知っていた?

N/K 一切知らなかった。ネチズンの人々の方が遥かによく知っていたかも知れない。ワタシは女性アーティストの私生活に全く興味がない。それ以外の総てに興味があるが。興味がない部分、つまり「あるけど、ない事にしておく」とかではなく、本当に全く興味がない点を持っておくのは人間関係を潤滑にする秘訣だと思うね。ある日、久しぶりで会ったら、妊娠していた。私生活に興味があれば、高い確率で父親が誰だか解っている。なんか良い事かコレ?ただ太っただけかもしれないだろ。

――では、このテキストは、若妻に一生ならないかもしれない女性に対して書いたり、再使用した。という事だよね?

N/K そうだよ。

――それは、演劇ではないのか?

N/K いや。音楽だね。音楽だよ。どう聴いたって音楽でしょう(笑)。

――解った。では次に、この曲のbeatについて。我々のオブセッションである「5連/4連と5拍子と4拍子のクロス関係」の構造を使っているね。

N/K 我々の積年の努力によって、と言いたい所だが、それも数パーセント含んだ複合的な理由によって「5対4」は今や高いリテラシーではなくなっている。ただ、マシンビートで造り出すのが未だに難しいので、フレッシュなだけだ。一方、音楽を心から愛していて、楽しむ事も出来るのに、4拍子すら知覚出来ない人々もいる。問題は構造読みが出来るかどうかじゃない。興奮するか、興奮が阻止されるかどうかだ。更に言えば、興奮が阻止されたと感じた時に、反射的に苛立ちが止まらなく成るか、更に興奮するかだね。問題は。

―――製作過程は?

N / K あれは総てワタシの手打ちで、ベースライン以外は、クオンタイズ(修正)はごくごく僅か、数小節しかかかっていない。そういう意味では、あれはJディラマナーだ。「泥の世界」もそうだ。「ウエルカム2デトロイト」や「スラムヴィレッヂ/ファンタジー2」のようなサウンドを模倣的に作る事だって立派なJディラマナーだが、ワタシの考えでは、マシンビートで、ドラムキットに手打ちを採用すれば、ネタを使ってなくても、ベースがサインウエーヴでなくとも、HIP-HOPでなくてさえJay Deeのマナーだ。まだ続ける?(笑)

―――「反駁」までいきたかったんだけどな。

N / K タイムキーパーまで自分でやったら、おそらく発狂するだろうね。「反駁」については、「戒厳令」と同じキーだが、TOP LINEに使ったモード(音階)が違う事(「戒厳令」がドリアン、「反駁」はフリジアンで、YMOと少女時代の楽曲を素材に変形させてーーー引用ではなくーーー使用している)、トモミのコーラス、そして、PALOALTO氏の参加が総てだ。このアルバムは、過不足ないオファーで出来上がっている訳ではない。道義的にもビジネス的にも名前は出せないが、日本人ラッパー1人、アメリカ人ラッパー3人にオファーを断られるか、無視されている。特にアメリカ人の不参加は、自分が国連の議長かなにかになった気分だったよ。おそらく彼等は全員、自分も良く知る女優の、戯れのノベルティミュージックかなんかに呼び出されたと思ったんだろう。「タレントはラップをした事が無い。プロデューサーはジャズミュージシャンとして有名」これで説得出来ると思うかね?(笑)そして韓国人ラッパーの参加、そこに至るワタシのトライ&エラーの連続について総て書くならば、このインタビューは20回でも足りなく成るだろう。今日はPALOALTO氏の参加、その侠気について心からのリスペクトを表明して終わりたいね。韓国で、ラップもした事が無い有名女優がヒップホップのアルバムを出す。プロデューサーはヒップホップ専門ではない。ギャラもムチャクチャ高い訳ではない。この条件で日本人の有名ラッパーにオファーが来たとして、平然と参加する奴がいたら大変なトンパチだろう。これは相撲から発祥したプロレス界の用語だけれども(笑)。

―――実質上、氏を単独で説得してくれたヴィヴィアンさん(ヴィヴィアンの音楽ヲタブロ)
http://vivienne2013.blog.fc2.com/blog-entry-183.html
の尽力にも改めて感謝したいね。そしてこの事も明言しておきたい。アメーバカルチャー(韓国のHIP-HOPレーベル)からは正式で丁寧な断りのメールが来た。そしてそこに書いてあった理由に一切ウソが無かったことは、現在証明されている。彼等は非常にジェントルだよ。

N / K そうだよ。誤解は承知で言うが、韓国人の、少なくとも音楽家は、オヴァーグラウンダーもアンダーグラウンダーも非常に侠気があるよ。少なくともアメリカ人に比べると。なんだあいつら!!リスク計算づくの戦争好きめ!!(笑)

第四回

――「ワタシ(菊地成孔)とN/Kの区別がつかない」というクレームが来たので、今回からワタシの方は「菊地」としよう。

N/K 了解だ。ただ、次は「菊地さんとN/Kって、どう違うんですか?」という質問が来るだろう(笑)。

菊地 ネチズンが住む国は広大な託児所だよ。大のオトナとして可能な限り子供達のいうことは聞こうじゃないか。そのうち「Rinbjöって何ですか?」と聞かれるだろう。

N/K 「菊地凛子さんと菊地成孔さんはご兄妹ですか?」とかね。

菊地 いやあ、さすがにそれはーー今の所――されていない。もしされたら「そうです。兄(菊地秀行)も含めて3兄妹なんですよ」と答えたくて仕方がないんだが(笑)。

N/K 若干シリアスなスリップをするが、現在は「自分が何を聞いてるかはどうでも良い」という質問の時代だ。昔からあったが、ネットというグレードマザーが出来てからは、「ねえ?これ何?」「それはね」という往復を、スキンシップの代替物にしている人がかなり増えた。愛情飢餓と確認強迫は古代から普遍だが、「誰彼構わず、何振り構わずやって良い」時代になったね。君の生徒にいるだろう?

菊地 まあ、一握りだけれども。彼等、彼女等は必死であり、一方、そんな事が許されているのはおかしい、という、心の底の震えもあり、異常な図々しさと、異常な怯えに引き裂かれてしまっている。ワタシは病人と接するのが好きだ。なので、答え続けるとどうなるか試してしまうのだが、いけない事だとは思ってるよ。倫理的にではなく、病理的にでもなく、単に時間の無駄という意味でだけど。

N/K 一文字でも早くインタビューを開始すべきだと思うんだが(笑)、教えてくれ。答え続けると、どうなる?最終的に?

菊地 納得され、礼を言われる(笑)。

N/K ははははははははははははは。始めよう。

菊地 そうしよう。前回は「反駁」までだったね。

N.K 前回言ったように、トップラインはYMOの「インソムニア」と少女時代の「GENIE」を改造して繋げている。長く成るから触れないが、これを書いている最中、ファレルたちがマーヴィンの遺族に訴訟で負けた。クソの国で起きたクソの出来事だが、こうして自己申告しているので、バカのアメリカ人から早く訴訟してもらいたいほどだ。そしてもう一度強調するが、HI-LITE RECORDと、代表であるPALOALTO氏の侠気には感謝しか無い。4月15日(リリースパーティー)が待ち遠しいよ。新婚の彼がもし望むなら、東京を案内しないと。OMSBやMARIAたちとも一緒にね。京城の人間にとっても、相模原の人間にとっても、東京は観光地だ。

菊地 是非そうしよう。さて「sTALKERs」だけれども。

N/K これが、第一回で話した「ハリウッドバビロン」的なオブセッションというコンテンツのセンターフォールドである事は間違いない。大きく話しが戻るが、始めて凛子さんが電話口に出た時、ワタシはもうほとんど頭の中でこの曲のヴァースを書き終えていた。女優は殺害の妄想の的になる。実際は誰でもなるのだが、女優は格別だ。だがーー悲痛な話しだと思うがーー女優がストーカーに殺害される確率は、一般人がストーカーに殺害される確率よりも遥かに低い。つまり、女優はストーカーには殺害されにくい。

菊地 ここではさながらストーカーが面接に並んでいるようだ。女優は絶対に殺されない。外部のセキュリティシステムによってではなく、ストーカーの欲望の小ささをあざ笑う事で。

N/K そう。ストーカーを怪物扱いしてはいけない。厳密にはその時代は終わった、とするべきだ。つまり欲情者は怪物ではなくなった。怪物は別の位置に移動したーー例えば通り魔、そして、更に現代的な形としては、通り魔と、古典的な怨恨者の混合型、つまり再びストーカーは消え、怨恨者に戻って行くーー訳だが、ここでは「2人のおにいちゃん」だけが女優を殺しに来る。懲罰という形で。

菊地 それはさすがにミーティングとプロファイリングの結果だろ?まさか、ワタシとワタシの兄、という意味ではないよね。

N/K 当たり前だ(笑)。実際の凛子さんはストーカーにもパパラッツィにも遭った事が無いーーま、日本で若干の後者にヤラれただろうが、ワタシはその事実には全く興味がないーー、だから、ここから物語はリアルに急変する。我々の知り合いに、蒼井紅茶という女性がいたね?

菊地 彼女は2人の兄がいて、強烈なインセストタブーを抱いたまま苦しんで生き、結婚して出産し、そしてある日、突然死してしまった。ワタシと彼女は親友と言って良い仲だったので、今でもその現実を受け入れきれずにいる。悲しいとか、辛いとか言う意味じゃない。あれは何だったんだろう?と思い続けている。子供と一緒に昼寝をしていて心停止する。という事の意味がワタシには解らない。だから我々自身のオブセッションとも言えるね。勿論、凛子さんが、インセストタブーを抱くほどの兄妹関係だった訳ではないが。

N/K 勿論、しかし我々は女兄弟がいないーーーその代わり、生みの親と育ての親が実際の姉妹だから、「姉妹に生み、育てられた」という事が出来るがーー、なので、ツイストし、拡大した形で凛子さんのリアルに接続した。

菊地 ここでのポイントは、プロデューサーであるあなたが「多重人格者だ」と名乗って、複数のストーカーと、2人の「おにいちゃん」を総てやったことだ。全部違うラッパーにする事も出来たろうに。

N/K いや、他のラッパーに、ワタシが書いたヴァースを使わせる事は無礼だ。なので自分で全部書いて全部やった。凛子さんのテイクはテイクゼロ、つまりテストテイクだよ。

菊地 どうして?「ヘタウマ感」のため?

N/K それもある。だが、何度もやらせて、女優がリリックを台本みたいに捉え、演技をし始めない様に。というのが最大の理由だ。彼女がこの曲を改めて全部聴いたのはマスタリングの時だよ。深く考えさせない。それがワタシのやり方だ。

菊地 リスクは計算しなかった?「2人の兄の懲罰=自宅での死刑。から逃れる為に、自分のストーカーに自警団結束を呼びかける」というインモラルなテーマに反対されるとか。むしろ深く刺さった方が拒否される可能性が高いだろうし。

N/K そこは賭けだけど、愛と敬意、こちらの命さえ差し出せば、賭けに負けた事は無いね。リスクなんて言ったら、そもそもこのアルバムを作ることになった事も、自分が生まれて来た事も大変なリスクだ。リスクはヘルシーな資産だよ。逆説的に言っているのではない。

菊地 続く「アニー・スプリンクル」と共に、古き良きハリウッド感/観の出た曲だと思うけど。

N/K QNのスッカスカなビートがデカダンを想起させまくった。QNがかなりの変人である事は初回に言ったが、続く「アニー・スプリンクル」に至っては、彼はパラデータ(各楽器の、個別のデータ。通常はそれを寄せ集めてミックスする。というか、そうしないとそもそもミックスが出来ない)をとうとう送って来なかった。何度連絡しても「あれ?、、、、、届いてませんか、、、、?」とか言って、この曲だけ送って来ないんだ(笑)。仕方がないんでブロック編集するしかなかった(笑)。

菊地 デモテープ以下だね。さぞかし楽しかったろう(笑)。

N/K まあそうだな、少なくとも、プロのミュージシャンになってからは始めてだな。ツーミックス(もう出来上がっている状態)を切り貼りしたのは(笑)。

菊地 テキストはまたしても電撃的な早さで書いた?

N/K 1時間ぐらいかな?先ず第一稿を書いて凛子さんに送り、スタジオで全部読んでもらってから、どんどん切って行った。実際はあれの1.5倍ぐらいあったんだ。不思議な物で、プロの女優が読むと、どこが不必要か解る。テキストを書いたものの、どこが冗長なのか解らない書き手は全員、女優に朗読させると良い。

菊地 これはまあ、フロイト的には浅い状態に留めているね。無意識が耳を塞ぎたく成る様な「sTALKERs」の口直しのようだ。架空の女優Rinbjöの冒険は痛快だね。

N/K さっき言ったQNの信じ難い行為によって(笑)大胆にフルミュート(ビート全体を停止して、歌以外を無音にする事)がかけまくれたし(笑)。ゴダール感だね(笑)。

菊地 パート別のミュートがかからないからだろ(笑)。

N/K そうだ(笑)。だが、そうでもない限り、この曲はきっと、巧みにパート別のミュートが効いた、器用だが大胆さに欠ける曲になったろう。凛子さんが無音の状態で朗読する時間はすべて、QNとワタシのコラボレーションからなるものだ。

菊地 アウトロのスクラッチとキーボードリフは?

N/K ワタシが入れた。しつこいようだが、ツーミックスしか届いていない、つまりクリック(メトロノーム)すら送って来なかったんで、MIDI同期も修正も出来なかったんで、ライブみたいに手弾きになったんだ(笑)。嫌味でも何でもないよ。本当にとても楽しかった(笑)。フランクチキンズでさえ、中期からはMIDI同期していた筈だ。そうそうこれも言っておかないと。凛子さんのナレーションは「魚になるまで」も、コレも、各々テイク3までしか録っていないし、修正は一切行っていない完全なナチュラルヴォイスだ。「ヘタウマ」から最も遠く離れた行為だね。

菊地 スパンクハッピーのビッグファン達を喜ばせたかもしれない「泥の世界」だけど。

N/K これは解って欲しい。というか、ワタシではなく君が言うべきだが、我々は共に、スパンクハッピーを、いわゆる黒歴史とも悪い思い出とも捉えていない。どの作品も、いつのライブも好きだ。我々はどの分節であれ、局所への執着が嫌なだけであって、これは一般的な感情だろう。「おまえ、高校生の時が一番良かったな」と言われ、高校時代の写真ばかり繰り返し見つめられ、嬉しくて小躍りするOLはいない。ベッドインしてみたら、ひたすらコメカミだけを舐め続けられてオルガスムスに達するサラリーマンはいない。それだけの事さ。

菊地 今が常に最高?

N/K 勿論。だが、その事自体が最高かどうかは解らない。30代ぐらいに一生に一度の名盤を出しておく。という人生が悪かろう筈も無いし。そしてこの曲は、スパンクスしがみつきの人々に愛でられても仕方がない部分もある。
デュエットソングだからではないーーーそれは過去も山ほどあったーーコード進行の出だしの部分が「インターナショナル・クラインブルー」と同じだからね。

菊地 他にも小栗康平の「泥の河」、ギンズブールの「69年はエロの年」、いずみたくの「チョコレートは明治」、メディカルフェチの古典「ホワイトルーム」等の観念連合が読み取れるけれども、どうかね?

N/K かなりぶっちゃけた話になるが、ワタシは凛子さんからエロティークを一切感じなかった。感じていたら危険だったろう。彼女で自慰したい者がいたとする。そのときはオブジェクトが山ほどあるから、恐らく止まらなくなる。前述のインセストタブーと恐らく関係があると思いたいが、とにかく凛子さんをセクシャルな女性とは全く感じないまま「エロくてグロいもの」というオファーに従わなければならなかったんだ。何とかしないと、グロだけになってしまう。なので、エロティシズムは、相当「盛」った。エロい記号が飛び交うが、聴き心地がクールでエレガントなのはそのせいだと思っている。

菊地 「全部終わっても くわえたままの黒いチューブ」というのは、黒人男性のペニス、胃部内視鏡、スキューバダイヴィングのレギュレイター、コーラの瓶、サキソフォンのマウスピース、等々のマルチプルミーニングだと思うけれども。

N/K そうだが、それ以外にも、この曲は戯画的に盛り過ぎるぐらいにエロを盛っている。ウエット&メッシーやSMという、絵に描いた様なフェチシズム、ニンフォマニアという病理等が歌詞に盛り込まれている。だがそれは餌に過ぎない。喰わせたかったのは小編成からなるリズムだ。

菊地 これも総て手打ちの無修正というJディラマナーだな。

N/K クオンタイズ修正をかけているのはベースだけで、後はパッドやセレスタも含め、ドラムキットは全部手弾きの無修正だ。エンジニアをやってくれた田中君に後でまとめてもらったけどね。イントロのセレスタに次いで、ドラムフィルがはいる。あの瞬間が総てだ。恐らく多くの人々が、オーセンティックだと思うだろう。そこが良い。田中君は、ワタシがキーボードの鍵盤にアサインされたドラムキットを、実際のドラムを叩く様に両手で一度に叩いたんで「あの、、、、普通は、、、こういうのはキックだけとかから始めるんですけど、、」と言った。なので「そんなの知ってるよ(笑)」といったら「そうですか(笑)」と言った。もう間に合わないが、ワタシはドラマーになりたいんだ。

菊地 他に特筆すべき逸話は?

N/K 最初この曲は、ワタシと小田さんでキー設定をし、全音高くレコーディングした。そうしたら凛子さんのヴォーカルがジェーン・バーキンというか、単に赤ちゃんというか(笑)、物凄く幼くなってしまったんだ。凛子さんとワタシは大笑いしながら「キーを下げましょう」と言い合ったんだよ。あの、赤ちゃんバージョンも取っておけば良かった。

菊地 「INTERLUDE」は、Hi-specのBEATだね。

N/K 余りに素晴らしいんで、ラップもヴォーカルも要らないと思ったほどだ。このbeatが一番最初に納品されたんだが、そのときワタシは、このアルバムの音楽的な成功は約束されたと確信した。今回、彼のbeatは、この曲と「MORNING」になったが、どちらもーーー恐らく彼は意図せずしてーーーメジャーコードの2発パターンになっていて、調性を感じさせないエレクトロの状態から、悪夢めいた明るさにモーフィングする。手法も、引き起こす感情も、聴いた事が無い様な新しさと知性を感じさせた、そうだな、アウトキャストを初めて聴いた時の様な。今さらワタシが強調すべき事でもないが、彼の才能は凄い。今回はBEAT MAKER達にかなり鼓舞されたよ。

菊地 確かに。

N/K 「女優の名アルバム」の歴史には、国内だけでも緑魔子や桃井かおり等の歴史があるが、最も輝かしいのは坂本龍一さんが中谷美紀の為に手がけた「食物連鎖」だろう。だがワタシは個人的に、同じ中谷×坂本組の「私生活」のほうが好きだ。これはテレビドラマ「ケイゾク」映画版の主題歌がメインチューンなんだが、独立したポップな楽曲数が少なく、半野喜弘氏と竹村延和氏が製作した、中谷美紀のドラマの台詞と、スタジオでのオフトークを素材に、ピアノやノイズとコラージュしているショートピースが、箸休めの様にいくつかはいっている。これらがポップな坂本楽曲――も、十二分に素晴らしいがーーよりも遥かにワタシの記憶に焼き付いていて、ずっとこれがやりたかったんだ。

菊地 上手く作れたら、それだけでアルバム1枚になるだろう手法だね。ヒップホップが捨ててしまった、声素材の現代音楽、の現代的な可能性と言えるだろう。

N/K もし「戒厳令」が売れまくったら、昔懐かしい「リミックス盤」として、これだけで1枚作りたいほどだ。だから凛子さんのインタビューをかなり長く録音した。30分ぐらいかな。それをCD-Rに焼いて、beatに併せてCD-Jプレイしたんだ。目の前で見ていたHi-specは、複雑な表情だったけど(笑)。ワタシは大変満足した。もっと時間があったら、とことん追求して、更にベストな状態に出来たかもしれないが、即興性や事故も音楽のスパイスだよ。個人的なベストトラックは?という質問に、これだ。と答えたら、beat maker達に気を使ったアンフェアだと言われるかもしれないね。だが、ワタシにはこのトラックがベストなんだ。推測するに同意は少ないだろうから、のびのびと発言出来て嬉しいよ(笑)。

菊地 解離性と人形性、それと裏腹の、3Dの異様な生々しさ、テレビコマーシャルの様なリラックス、現代美術を眺める緊張感、そういったものが一群となっている素晴らしい楽曲だよ。さて、ちょうどINTER LUDE(合間/幕間/間奏曲)に差し掛かった所で、今回は終了しよう。

coming soon